なんで農家やってるの?


事の発端は、奥さんの“アトピー性皮膚炎”で何年もの期間使用していたステロイドを断つという、とても壮絶な行為が無農薬の野菜に興味を持った事でした。

アトピーでずっとステロイド剤を塗っていた人が、ステロイドをやめるという行為は、本当に悲惨だということを身近で見てきました。彼女の皮膚はただれて、リンパ液は皮膚下から表面に湧き出て、肌はパンパンに張れるし、かゆいし、リンパ液は臭いしで本当に大変そうでした。

ステロイド(副腎質ホルモン)などのホルモン剤は人の体に離脱症状を引き起こして大変なんだなと実感しました。

奥さんの体を改善するために、食に気を使うようになりました。今、私たちが配送しているような無農薬の野菜BOXを取り寄せ買っていました。

体に入れるものから気をつけて、お肉も調味料もなるべく安全なものを使い生活していました。

しかし、ちゃんとした物って自分で作った方が早くないか?という、安易な発想と、

農家ってちょっと面白そうじゃないか?

という好奇心が、自分で野菜を作るという方向に向かうきっかけでした。

そして正直、飽くなき生産と消費の循環の中にいることに疲れていました・・・。

今のシステムの中で生活するには、いらないものでも買わないといけないし、いろんな人たちに消費を促される。あなたには「〇〇が足りていません。」「将来のために、今〇〇をやりなさい。」「今〇〇をやらないと必ず損しますよ。」と。

自分に足りていないものを煽られて、不安や劣等感を助長され消費するように誘導される。

もしくは、本当は欲しくないものを欲しいと思わされて買ってしまう。

本当にやりたくないことさえやってしまう。

そんなにGDPを上げなくても良くない?消費しても幸せを感じられない、自分の中の何かを麻痺させるために消費しているようにさえ感じていました。

やりたくない自分をさせられている感じがする。


本来の自分がやるべきことなんて正直わからないですが、農業って食を扱うから、人間にとって根源的な事じゃないのかな?と思いますし、根源的な事は体や心が求めて自然にやってしまう事のような気もしています。

そして根源的な事の近くにいた方が、自分の中の何かが安心するのではないか?

という問いもありました。

そんな時に読んだ福岡正信さんの本に「自然にしていれば作物は育つ、肥料も農薬も耕運も不要。年に数日しか働かないでも自給自足の農業ができる。」

という事を言っていました。

福岡さんみたいにシンプルにすっきりと無駄なく生活できるんだったら・・・。

という甘い期待と希望がありましたが、その時に見つけた自然農法開発センターに研修へ行きました。

自然農法開発センターでの学び


実際、自然農法開発センターでは、自然農法というより、様々な実験的な試みをしていました。

それは、農薬を使わないで、化学肥料は使わないで、色々な方法で生産性を上げるためにはどうしたら良いのかという研究をしていました。

やはり、農薬使わない、化学肥料使わない、除草剤使わない、肥料使わないなど、自然に優しいのはいいけど、生産量の安定に課題がありその付加価値分の価格を野菜に付与しづらい社会状況のため、農家さんたちは苦労しているという事を知りました。

自然農法開発センターはそういった課題を克服するために、できるだけ農薬や化学肥料に頼らずとも、生産量を上げたり、少ない肥料で育つ品種を作り出したり、作業時間を減らしたりするために色々な研究や実験をしてくれています。

その研究結果はかなり興味深いものでした。

福岡さん的な方法をとるには、本当に山の中で下界と関係をある程度は断って自給自足的な生き方だったらそれが可能じゃないかと思いました。

実際に、愛媛県の福岡さんが生活していた農園も見学に行きましたが、本当に山の中で自給自足していたんだなという事がわかりました。

しかし、都会で育った奥さんは下界と関係を絶って自給自足だけをしていたいわけではなく、私も完全に自給自足的な生活をしたいわけではなく・・・まあ、結局中途半端なんですけど^^;

でも、今やっている農業(無農薬、無化学肥料、無除草剤)は、未来の子どもたちのための環境(体内環境も含めて)を守る事だとも思っているので、

私たちの野菜を購入してくれる人は未来のまだこの世に存在していない人たちへ投資をしてくれている人たちなんだと、私たちは思って野菜を届けています。

そして投資(購入)してくれたリターンは、安全安心な食べ物という以上に、これから生まれてくる人たちが安全安心な環境という形として受け取ってくれると勝手に思っています。

このように最初は、安易な気持ちと興味本位で「農業をやろう!やれば、もやもやした自分自身の気持ちもすっきりするのではないか!?」と思い、始めてみました。

正直、何でやっているのか?なんてよくわかりません、頭で解釈をつければ色々こじつけられます。(今まで書いてきたように。)

興味ある事で誰かに貢献できればそれって結構幸せな事なんじゃないかと思っています。

そして、就農して野菜を作り、始めて農業って冷静に生物の視点に立つと結構、残虐非道な事をやっているようにも感じています。

どんな作物や家畜も、自分の生を使って次の世代に遺伝子を残すという行為に全力を傾けています


野菜などの生物はその環境に適応し、次の世代では、自分が生きている環境に適応して変化している。という柔軟さとしなやかさと知性を持っています。

そのような意図を無残にも断ち切るのが農業。家畜などは言わずもがなですが。

作物や家畜が種を残す前にその生を絶って、食物にします。作物は収穫される瞬間には、体液を流し顔色が変わります。叫び声はあげませんが、きっと植物ホルモンの変化で世界に何か訴えていると思います。もしかしたら叫んでいるかもしれません。(笑)

家畜などは命が絶たれる時、彼らは叫び声を上げるし、血液が流れ、体温が下がっていくのがわかるので、命が失われていくという事が人間にとってはリアルに感じますが、野菜もきっと同じだと思います。

彼らは人間のために、生きているわけではなく、自分の種を保存するため、遺伝子を未来につなぐために生きていると感じます。他の種族に望んで食べられたい種族なんていないと思います。

人間だって、他の生物に進んで生きる糧として自らの身を提供する人は稀有だと思います。

農家ってそんな彼ら野菜や家畜の意思を絶ち、人間という種の生を保ち養うためなんだな、と就農して作物を作り始めてから思いました。

他の種の命を絶ち、人間という種を保存するための行為。

人間という種を保つために農家やってるんじゃないか、とも最近は感じています。

長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

ひなたぼっこ自然農園 代表:加藤 博也

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