見ないという事は存在しない事?

勉強するより遊びたいのが“子ども”


夏休みが始まったりすると、子どもたちは学校に通うということから解放されて楽しそうですね。でも8月に入ると子どもたちも宿題をしなければいけない思いと、遊びたいという気持ちの葛藤をしながら、親からの「宿題しなさい!」というプレッシャーを経験するものですよね。(私たちも経験しましたよね!)

勉強嫌いの子が頑張って勉強をするのは、親に自分を見て欲しい場合がほとんどだと思います。本当に勉強が好きで学校に行く子なんて、全体の2割いるかいないかだと個人的に思います。

2:6:2の法則的に考えると、2割が「学校での勉強が好き」で、6割が「どちらでもなく日和見的な感じ」、6割の子どもたちは、『周りがしているしなんとなく・・・』や『親が「勉強しろ」というから・・・』『将来の不安を親に煽られるから・・・』など。最後の2割は「本当に学校の勉強なんか嫌い!勉強の“べ”の字を聞いただけで思考がフリーズする」という感じだと思います。

人は認識されてはじめて存在できる


話は飛びますが、量子論の中では、人が見たり認知したりした時点で、その量子は位置と速さが決まるというのがあります。二重スリット実験のコペンハーゲン解釈の中でも認知者がいて、波動が粒子に変化するという現象があり、認知者や観察者がいて特定の物質現象として認識できるという説はとても興味深いですね。

量子の世界の事は正直良く分かりませんが・・・。

認識されないと存在できないというのは実際にあるように思います。

私が以前、住宅の仕事に関わっていた時に、人が家に住まなくなると、急激に家が傷み出すという経験があります。多くの人は風通しが悪くなるから、とか、使わなくなると傷んでいくよ、と言いますが。田舎の住職とかがいないお寺って、すぐに傷みが進行するのかと言われると「う〜〜ん」ってなりませんか?

住職がいなくても、誰かが見学に来たりして、ある意味見てくれている人がいる。

もしかして、見たり認知したりしてあげないという事が、建物が存在する事をやめていき、その結果、傷みや劣化が激しくなるという現象かも??と思っていました。

認識されたい気持ちが大きいほど自分へのアピールを高めようとする


最初はあまり売れていなかったアイドルで、そんなに可愛くないじゃないかと思っている人でも、メディアやTV・映画などに露出が増えていくとなぜか可愛くなっていく。(見えてくる)という現象や(実際は儲かって整形かも?(笑))周りが可愛い、可愛いと煽れば、本人も可愛く感じる(見える)ようになっていく。

可愛いという周りの認識が、可愛い存在を作り出しているのかも?

野生の生物でも、たとえば鳥は、巣にいる時に自分の存在を鳴くことで親に主張しないと餌を配ってもらえません。鳥のヒナは鳴くことで、親に存在を知らせると同時に天敵にも存在を知らせてしまいます。だから親鳥は子どもだけでなく、自分の危険を避けるためにも、せっせと子ども達の口に餌を入れる事で鳴き声を沈めます。

先の話に戻って、今の子どもたちだって、親の目や周りからの認知を得るために必死なのかも?と思うことがあります。いやいや勉強する事で、奇異な行動をする事で、自分の欲求を抑え、親の想いを先読みしてそれに従う事で、親の興味関心を引き自分への認知を高めようとしているかもと思ってしまいます。

昔とは違う人とのつながり


昔は親の理解がなくても、周りのおばちゃんやおじちゃんが自分の事を良く見てくれていました。大勢の兄弟、姉妹が見ていてくれました。

しかし、今は核家族化が進み、身近な親だけ、家族だけになりがちですよね。しかも、拒絶される事に過敏すぎて心が沈んだり病んだりしますよね。これも、特定の人たち、特定の集団としか付き合わない事の結果かも?

いろんな人や様々なコミュニティの中での付き合いがあれば、その中の誰かは自分を認めてくれて気も合う人がいるものです。

認知されないと存在できない?。

これは野菜たちにも言える事なのかなと最近思うのです。

人間だけではなく野菜たちも存在していたい


毎日、一株一株確認する事で、野菜たちはもしかしたら存在する(成長する)力を得ているのかも。病気になるのも、虫に食われるのも、栽培者の注目を集めるために必死だったりするのかなぁ?と思うのです。

考えすぎですかね。(笑)

今一緒にいる人や物を見ていてあげる事はとても必要なんだな、と思います。目の前の相手が存在していてくれるために・・・。

以前、近くのスーパーに貼ってあった外国の子どもが、学校の課題(自分の願いというお題)で書いた作文が印象的だったので、ご紹介します。

僕の願いはスマートフォンになる事


僕の願いはスマートフォンになる事です。なぜなら僕のママとパパはスマートフォンがとても好きだから。

ママとパパはスマートフォンばかり気にして、時々僕の事を忘れてしまいます。僕のパパが仕事から疲れて帰って来た時、パパは僕ではなく、スマートフォンと時間を過ごします。ママとパパが大事な仕事をしていてスマートフォンがなりだしたら一回鳴っただけでもすぐに電話に出ます。僕が泣いている時でさえそんな風にはしてくれないのに。

ママとパパは僕とではなく、スマートフォンでゲームをして遊びます。スマートフォンで誰かと話している時、僕が何か伝えたいことがあっても僕の話を聞いてくれません。

だから僕の願いはスマートフォンになる事です。

【シンガポールのサイト】

http://www.allsingaporestuff.com/article/pri-sch-boy-i-wish-become-smartphone-so-my-parents-will-love-me-more

に投稿されていたお話なんですね。

近くにいるのに、見てもらえない孤独。そしてその孤独の連鎖が、いろいろなものを狂わせているようにも思えるし、自分本来の想いを失わせている。ようにも感じます。

目の前の存在を見たり、聞いたり、触れて感じるだけ。

たったそれだけでいいのかもしれませんね。

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