アリス・ミラー的育児法 [1]

アリス・ミラーとはスイスの心理学者・精神分析家で、「才能ある子のドラマ」の著者 wikiを参照すればどんな人かある程度わかると思いますし、著書を読めばどういった事を主張しているのかもわかります。

アリス・ミラーとは

ここは私なりにアリス・ミラーの考察を自分の育児に生かすならどうするかという視点でまとめてみました。

乳児期、幼児期への暴力の文化的な背景


アリス・ミラーは自らの精神分析の症例だけでなく、様々な歴史上の人物の事も分析しています。彼らやその周りの人々が残した伝記や手記などから研究して、彼らの幼少期の経験がいかに色濃く成人した時の人格や行為に影響を与えるのか。という事を、様々な偉人などの例を示してくり返し説明するという興味深い説明のし方をしています。

子どもたちが親から受ける教育というのは、その時代の社会的な背景の影響を受けるものです。

例えば、ヒットラーの時代のドイツでは、シュレーバー教育という教育が主流でした。とても厳しく子どもを管理する方法で、親から見て過ちを犯したら暴力によって矯正されるという形のものです。

その時代のドイツの国民の多くは、そのような親からの暴力や虐待の中で、自分が本当に感じている感情(怒りや、悲しみ、孤独)を抑圧し、自分の心の中に隠蔽せざるを得ませんでした。ヒットラーという先導者によってユダヤ人がその抑圧した感情のはけ口とされたのだとアリス・ミラーは分析しています。

だからあれほどまでに国一丸となってユダヤ人を平気で迫害できたのだと。そして、ヒットラーもそういった教育の中で、何かあれば父親にムチで打たれて育ったそうです。

アドルフ・ヒトラーとは

日本でも少し前までは、親や教師の言う事を聞かない子どもは、体罰によって言う事を聞くようにされるのが一般的で、小学校、中学校で教師が生徒を殴るというのは普通でした。特にその学校の中の強い運動部ほどそういった面が出ていたと思います。私が所属していた部活で、部活を理由なくサボり続けた生徒を部員の見ている前で顧問の先生がリンチするという事もありました。今だったら誰かが動画を撮ってそれを動画サイトにアップして大問題になるような事も普通でしたよね。

暴力=しつけ


アリス・ミラーはこのような厳格な教育の背景には旧約聖書的な文化的な背景があると言っています。

モーゼの十戒の中の「あなたの父と母を敬え」という教えだったり、

ソロモン王の言葉の中に、

「愚かな事が子どもの心の中につながれている懲らしめのムチはこれをと多く追い出す。」とか、

「ムチを加えない者はその子を憎むのである、子を愛するものは努めてこれを懲らしめる。」などなど、

子どもは本質的に性悪なので、しつけて罪を犯さないようにしないといけないと言ったものですね。

子どもをしつけるために暴力するけれど、その暴力はその子のためを思っての事で、子どもたちはそれでも親を尊敬してないといけないという宗教的な文化的な背景がありました。

そして聖書に外れる事はその親たちが神である「絶対的な父親」から罰せられる事を意味しているので、その強迫観念から、子どもに暴力を振るうのに抵抗は無くそれが普通だったと考えられます。それに加えて長きにわたって従順、自己奉献、自己犠牲と言ったキリスト教的な価値観で自分の魂や感情を圧殺してきた親だから、それを子どもに強いるのは何の疑いもない事だったのではないでしょうか。

日本は「恥をかかないため」のしつけ


日本の場合はどうなのでしょう?歴史的背景に聖書的な絶対的な父(神)に従う、従わなければ罰せられるというものはあったのでしょうか?

どちらかというと日本の場合は、村社会的で、お役を果たせば立場を守られるという文化だったため、村の同調圧力的なものに忖度するという文化があったのではないでしょうか?

そして村の文化風潮から外れる事は家の恥だという「恥の文化」も相まって、子どもたちを矯正するために暴力も辞さないという事の流れがずっと来ているのではないかな?と思っています。(恥を書くぐらいなら切腹ですからね。)

恥をかかない、みんなと一緒、というのは本当に根強く日本人の心の中に埋め込まれている可能性はありますね。実際、村八分って本当にえげつないぐらいひどかったらしいですから。

だから、恥をかかないように子どもを厳しく躾るという事だったのではないでしょうか?

幼児期に受ける暴力の影響はとても大きい


子どもにとっては愛している父親や母親から暴力やネグレクトや性的虐待をされてきたとしても、自分が生き延びるために、自分の両親を理想化するという事を無意識にしてしまいます。

そしてその虐待された事実に気づく事も許されず、その事自体を口に出す事はできなくなってしまいます。(親と子という関係性が崩れたら生きてはいけないという事を本能的に知っているのです。親の縁ナシには生きられないという事を。)

だから、親に暴力を振られていても、私のためを思ってしてくれているのだという理屈を頭の中で作り、本当の悲しみや怒り、孤独を心の内に押し込めてしまいます。

なんとかして、親に見捨てられまいとしたり、親が自分に向けてくれる関心を失いまいとしたりする気持ちの結果、こうなります。

実際、母親が公共の場で怒っている状態でも、子どもによっては怒られている間、笑顔を作ったりおどけたりする子を見ると、そういった事(本心を隠して自分を守る事)を無意識にしてしまうのかなと感じてしまいます。

感情の抑圧と欺瞞


このように幼い頃に抑圧してしまった感情は、無意識の中に閉じ込められているので、何かきっかけがあれば、それは負の感情となり自分や周囲の人たちや自分自身に影響を与える事があります。

“自分の感情を持ち表現することを怖いことだと植えつけられた人は自分の感情を周りの人に押し付ける事をします”

 

配偶者に対してヒステリックに、または暴力的にハラスメントをする人は、子どもの頃感じられていなかった感情を、配偶者にぶつけたります。

感情をぶつけたかった、感情を表現したかった父親なり母親なりの代役にしてしまうのです。怖い、見捨てないで、私を見て、と言った感情を。

そして、その感情をぶつける相手の配偶者が安全でない場合、もっと安心して感情をぶつけて虐待やハラスメントできるのが、自分の子どもになってしまいます。子どもはそれに逆らいもせず受け入れて許してくれます。そしてその暴力的な行為自体を告発せずに無かったものとしてしまいます。

自分の体験した感情や自分の心を言葉で表現することも許されない子どもは根本的な安心感を失います。

また、自分の子をできる限り早く社会の基準に適応可能な状態にしてやり、学校や仕事で苦労をせずに済むように準備させるという事を親は考えると思います。

そしてそのような考えを持った親は、早い段階で社会の規範に遵守する事を子どもの意思に関わらず、強制する事があると思います。

子ども時代に本当に感じている気持ちを押し殺し、自分の魂を殺して本当の自分が感じている事を無視する事が出来ると、自分ではない自分(社会や周りが求める自我)で生きる大人が出来上がります。

そうやって育った大人は生命感がある人、自由に自分の本然で生きている人を見ると、自分の失ってきたものに無意識的に気付いてしまいます。そしてそういった人たちを、そのまま生かしておきたくない衝動にかられてしまいます。

その対象は若者であったり、子どもたちであったりします。その結果虐待や暴力やネグレクトが発生します。

対象が大人であればいじめだったり嫌がらせだったり、モラルハラスメントといったもので圧殺しようとします。そうせざるをえないのです。

そういった人が親になると、自分の子どもの純粋で豊かで自由な感情を理解しそれに答えるのがとても大変な行為となり、多くの親はその自由さに対し、怒りの発作を起こしたり、性的に興奮したりします。

まさに感情の抑圧や魂の圧殺による破壊行為が世代を超えて連鎖、継承されるという事です。

アリス・ミラー的育児法 [2] へ、続く。

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