今のために未来を消費しすぎた私たち現代人

便利さを追求すると見えなくなるものがある


今この瞬間に、楽をするため、得をするために様々な技術や知識が使われてきました。(無人レジやコンビニ弁当など温めてすぐ食べられるものの発展など。)

それは私たちの生活をとても快適にしてくれたし、色々な事が昔より格段にできるようになりました。特に私たち団塊ジュニアの世代は総中流社会の中に生まれているので、昔の人に比べたらとても豊かな生活が送れている人も多くなっていると思います。技術の進化とともに、変わっていく社会をリアルに、そして瞬く間に変わっていく変化を見ながら成長してきました。

しかし、そういった変化の結果、今しか見ずに、将来のこの地球で暮らす人たちの事はかなり置き去りにしてきたように思います。

農業で言えば、農薬や除草剤は時間の効率化や労働力の削減や生産性の向上にはとても役に立ちます。しかし、その結果、農産物が作られる土壌だけでなく食べる人の体までも汚される事になります。それは未来の子ども達の体や住む環境に負の影響を与えてしまうと思います。

実際にアメリカで除草剤ラウンドアップに発がん性があるという裁判の結果もありましたが、その除草剤を日本の多くの人は平気で使っています。確かに使うと楽なのはわかります。草刈りや除草はとても労力がかかります。しかし労力がかかる割に儲からないのが農産物。単価が安いですからね・・・。

そういった、売り物の野菜にはガンガン農薬を使う人でも、自分の家族や孫には、農薬不使用の物を食べさせたいと考えて、それを実践している人が多いのも事実です。

消費者である私たちが学ばないといけない


ある大手の百貨店の社長さんのお話で、すべてをオーガニックにしない理由はそれを買う人が少なすぎて、それはできない、と言っていました。買う人がいなくなると言う事は、会社を維持できなくなるし雇用している社員も養えなくなる・・・。多くの消費者がオーガニックの物を選ぶというのならその売り場を拡大するというお話もしていました。要は消費者の動向次第で行動を変えるという事ですし、自分たちの立ち位置を守るため(会社の存続)に善悪は問わないし、今をいかに乗り切るかみんな必死だと言う事なのです。

多くの人は立場主義のために、自分の本当の想いとは反した言動をとる事がありますが、それで立場を守る事が出来たとしても自分の心には傷がつき、それを繰り返しその傷を修復するたびに心は固くなり、閉ざされます。立場を守るためだけの機械となり、自分の心がわからなく、虚ろな大人になる人が多いように思います。

しかし、その売る側の立場主義に変化を与えるのは、買う側の行動一つだとも言えます。

野菜に限って言えば農薬や除草剤を使っても良いと承認しているのは消費者側となります。

立場を守ろうとするとどうしても、「自分の心が何を想い感じているのか」を無視してしまう。それは大人に限らず、子どもの世界でも起きています。会社の中ではなく、家庭の中でも起きています。

獲得した立場を手放してしまうと、「もう生きていけないのではないか」と言う恐怖感が、今いる自分の立場にしがみついて離れないという行動をとらせてしまうように思います。

自分の正しさや優位性を示さないと、今いる自分の立場が無くなるのではないかという不安から、自分を見せつけないと不安でしょうがなかったり(自己顕示)うまくいっている人への嫉妬による批難や攻撃が横行していたり、誹謗中傷なども今はネット上で面と向き合って言う必要がないので、本当に簡単に相手を傷つけることができてしまいます。嫉妬をされる側、嫉妬をする側も心の落ち着く場所が無かったりします。

自分の立場(ポジション)を考えすぎてがんじがらめになっていませんか


家庭の中でも、「妻というポジション」「夫というポジション」にこだわりすぎて、本当に大事な物を忘れて目の前の人への興味や尊敬も無くなり自己の正当性に固執して相手を批難するケースも多いように思います。(男・夫だったらこうするべきだ、女・妻だったらこうあるべきだ、など。)

そういった不寛容さを感じる社会の中で息苦しく生活しないといけない状況だからこそ、自分の心や感性を取り戻しそれを自由に表現する事がとても大切だと思います。

それは、もしかしたら好きな人や大切な人と、ゆっくりと楽しく食事を食べる事で取り戻せるかもしれないと思っています。

好きな人や大切な人と一緒に食卓を囲む楽しさ


自分のことを見てくれる人がいて、自分にとって興味のある人がいる。そんな中で食べる食事はとても満たされると思います。子どもだってテレビやゲームをしながら無言で食べるよりも、親と一緒に今日の事、自分の事を話しながら食事をする方が楽しいと思います。

テレビやスマホを見ながら、目の前のものは料理なのか餌なのかもわからず口の中にただ運ぶ・・・というのは、孤食(一緒に食べているのに一人で食べているような状況)の一つになり得るのではないか?「一緒に会話をしながら食事をする」という事にすら幸せを感じられなくなってしまっているような気がします。

大切な人のために食事を作り、そのあたたかい食事を、ただ一緒に、今日あった事や今考えている事を語り合って食べる。そういった大切な時間を幸せに感じられないくらい、今いる時間を忘れているような気がします。

食べる事が好き


私がそういう風に感じるのは食べる事が好きだからかもしれません。

自分のことを思って作ってくれる料理は満腹感があります。作った人が誰だかわからない料理(チェーン店のご飯、コンビニ弁当など)は、いくら食べても満たされない。そして、自分を見せつけよう(これ、美味しいから食べてみろ!と迫る)という料理にも、何故かエネルギーが奪われるような感覚になって食べる事が疲れてしまいます。

だから作る側の想いってすごく大切で、相手の心や体が健やかになる料理を作ろうとする気持ちが、その料理を食べた人にじわじわと影響を与えていくのではないかと思っています。

実際に、体が不健康だとホルモンバランスに影響を与え、感情や思考にまで悪い影響を与える事は今では常識的な事ですしね。

だからこそ、気持ちや想いは大事なのです。

大切な人の「体と心が満たされる料理を作りたい」という人の助けとなるための野菜を作りたいと私たちは思っています。

農薬や化学肥料、そして除草剤も使わずに、ただただ野菜を栽培しています。

 

少し長くなりましたが、そんな理由で野菜屋さんやっています。

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