単一作物を作るのと、植民地政策は似ている

単一作物=一種類の野菜だけを育てるとどうなる?


畑の中で作物が単一化させると、多様性がない状態になっていく。

畑の上の目に見えている部分だけでなく。

土の中の菌類の種類も栽培されている作物に合わせて単一化して、土の栄養分も偏っていく。そこに着く虫や雑草にも偏りができやすい。

しかし、その単一作物の生産をすることは、作業効率は良くなりコストも下がるので、これは経済的な効率化や合理性を考えた場合は当たり前の話だと思います。

国も単一の産業だけに特化する事で、安全保障ができなくなる


かつてのイギリス大英帝国のように他国を植民地化してその国の産業を単一化させたりした場合、その植民地の国の産業は多様性がなく、イギリスがいなくなった場合、その産業が世界的に衰退した時や、その産業をより効率良くできる国が現れた場合、デフレが加速してより貧困化が加速します。

その場合、植民地側は経済的な独立性を奪われるだけでなく、国の安全保障は放棄されたのも同然。独立してないから。

畑の場合、菌や生命種の単一化は作物の病気の原因や害虫の大量発生の原因となり、結果的に収穫量が減ってしまう。だから、農薬や過度な化成肥料の投入となる。

効率生産による単一化は、結果的に生命種の数を減らして、将来的な畑としての安全保障の障壁となってしまいます。

単一化が人間の世界で起こっていたら


大げさかもしれないが、人間も同じで、同じような思想しか許さない、同じような行動しか許さない、同じ仕事しか許さない、同じような人種しか許さないという社会になっていくと、人間という生命の多様性はなくなり、文化や文明の安全保障がなくなっていくように思う。変化に脆い社会になり、体制に従わないのは悪だという恐怖の概念に縛られるようになってしまうのではないかと思う。

多様性は効率が悪い、面倒臭い、それもわかる。

独裁国家にして、トップダウンでどんどん決断していった方が、その思想を支持する人にとっては効率が良い。

野菜だって、広い畑に単一の作物を大量生産させたほうが効率が良い。

しかし、病気が発生した時に全滅する可能性がある、それと同じで独裁国家も国が滅ぶ危うさも共存する。

多様化を認める


答えのないものや、どうしようもないものといった、非効率なものを抱えて生きるのは、面倒で効率が悪いものとして処理されがちです。何事も、考えて悩んだり、答えを保留するという事が嫌がられる昨今において、即効性を持つ答えは多くの人の支持が集まります。

しかし、即効性の強いものは長続きしない。より強い農薬・化成肥料、より人件費の安い国に産業委託する傾向になるような感じがします。

結局、精神の豊かさや、心の豊かさや穏やかさや人の可能性も失っていくように思えます。じっくりと得られるものは、深みと安定感があり、野菜や国、文明も同じ。そして人間性も同じである。

多様な人間性の中で複雑なものを抱えて生きているから、人としての独立性といった、心の安全保障みたいなものが芽生えて、多様なリスクが襲ってきても、それに対応できる強さが育まれるのではないかと思う。

だから多様性を認めることは生命を永続させようと思った時の大切な要素になると思うのです。

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