安富歩(やすとみあゆみ)式 育児法 とは
東京大学東洋研究所 教授の安富歩先生の考えを育児?教育法として勝手にまとめてみました。
安富先生は東京大学で女装しながら講義したり、市長選に出たり、子どもを守るというテーマで立候補したり・・・と様々な活動をされています。
ぶっ飛んでいると言えばそうなのかもしれませんが、京都大学卒の住友銀行で働き、東大教授というある意味エリートコースしか歩んでいないからこそ、言える言葉にはとても説得力があるように感じるのは私だけではないと思います。
東松山市の選挙に出た時の、子どもを守るという主張で選挙に出た時は、「大人たちが子どもを守るという事を基本に考えて行動したらその社会はよくなる」と、話されています。
子どもは自由に発想し自由に行動するべき
現代の子どもたちは、子ども時代に子どもらしさを充分に体験させてもらっていない事が多いです。早く今の社会に適応できるように、早く学校の勉強を始めさせて、他の周りの子どもたちに置いて行かれないように、よりすぐれていないといけないように教育をする。その親の無意識の思いを敏感に感じ取ってしまう子どもたち。その結果、自分でない自分を子どもの時から演じてしまう子どもがとても多くなってしまいます。
こういった事は、子ども時代に子どもらしいことをさせないのがイコールの関係にあると思います。
ヒットラーの時代、ドイツでは親の子どもへの体罰、厳格に育てるという事は普通の事だったようで、ヒットラーも父親にムチで叩かれ教育されていました。そのムチで叩かれる回数を口に出して数えていたという事を述懐していて、寝言で「アインツ(1)、バイ(2)、トライ(3)、・・・」と数えてしまうぐらい、その事が無意識に刻み込まれていたそうです。
親からのしつけという名の虐待を、子どもたちは親に対して自分の事を「愛していない」と受け取る事は出来ません。どんなに酷い事をされていようと、親が自分を愛していないと受け入れる事は子どもの無意識でできないのです。なぜなら、自分一人で生きて行く事が出来ないからです。どんなに虐待を受けても、それは親が自分のためを思ってやってくれているのだと解釈してしまいます。
ヒットラーは子ども時期に貯めた心の負債(自分自身の本当の感情や思いを表現できていない事)を、大人になってから社会から取り返そうとして自分が住んでいる社会に攻撃してしまいました。
だから子どもの純粋で無垢な思いを大切にできるような社会にしないと、きっと子どもたちはその奪われた心の負債を、また周りから奪おうとしてしまい、社会は悪化する一方です。
学校は勉強よりも学ぶべきことがたくさんある
「貧困でご飯が食べられない子や、親に殴られていたり、子ども同士でいじめられている子が一人でもいたりするのなら、授業をしないで、その事を解決してから。そうするには、どうしたら良いかみんなで考えてから授業をしてほしい」と安富先生は言われていました。
確かに今の学校制度の中では、授業というカリキュラムを実行する事に優先度が置かれていて、その事に税金が使われています。それは将来どういう社会を作るか、どんな人間を育てるのか、という事の表れの一つだと思います。
クラスの中で起こっている事は社会の縮図でもあると思います。会社や社会で起こっている事の歪みを家庭に持ち込み、その結果、歪んだ家庭の歪みを子どもたちは学校に持ち込んでしまいます。
学校のルールや決まり事を守らない子どもはハブかれる?
学校では、授業と規則の実行に優先度が置かれてしまうので、その実行を妨げる因子は邪魔者と排除される可能性がとても高いです。(集団行動ができない子や、テストの点数が低い子など。)そして優秀な子どもほど、学校のシステムの運行や運営にカンが働き、先生の意向を忖度(そんたく)して行動してしまう。
その結果、邪魔者が出てきたり、システムに収まらない子が弱者扱いされてしまったりするのではないかと考えられます。システムの遂行が重要でなく、みんなで助け合って今、目の前にある問題を解決する事を大切にしないといけないですね。
そして安富先生はこうも言っています。
『学校に行かせるな!』と。
昔は学校に行かないと、情報を得る事はできませんでした。だから、みんな学校に行って世の中の事や世界の事を学ぼうとしていました。情報は上から流れる時代だったのです。
しかし、現代ではどうでしょうか?学校で学べるような知識はネットに溢れていますし、本の中でも手に入ってしまいます。昔と今では本の出版の数も桁ちがいなので、本屋に行けばすぐ手に入ってしまうのです。
つまり、学問の本質とは、その人間が持っている好奇心に従って、世界や宇宙のまだ記号化されていない事を記号化し、それを万人に一般化して伝えられるようにして更にそういった情報を利用可能にする事だと思います。
しかし今、学校教育でやられている事の多くは、個人個人が必ずしも興味があるとは限らない、学校や先生が決めた問題と答えを解く事が主になっています。それは本質的に「学ぶ」という事とは程遠いです。1日中興味もない情報の羅列を、黙ってじっとしながら頭に詰め込まれるという、人によっては虐待ではないかと思われる事が平然と行われています。もしかしたら洗脳かもしれません。
実際に、学校の勉強が興味ない人たちは、学校を出たら学校で習った事なんか一つも覚えていない事を私たちは経験して知っています。
そしてその苦痛な授業にじっとしていられない子どもは、発達障害だったりADHD(多動性疾患)として扱われて、病院に連れて行かれ向精神薬を飲まされます。(コンサータを服用される)向精神薬は麻薬と同じで、中枢神経に作用します。依存性もあり、体内に入った薬をその後抜くのが難しいものです。
“発達障害”という病気は本来存在しない
“発達障害”という病気は本来存在しません。誰かが決めた規格からはみ出る行動をとる人は、みんな“発達障害”として扱われます。大人でも子どもでも・・・。
しかし、人間に規格というものがあるのでしょうか?大人も子どもも十人十色、個性があります。あるとしたらそれは、その社会システムの規格なのだと思います。
だから無理に学校に行かせても、今自分が所属するシステムの長の求める答えを忖度(そんたく)するようになります。自分の感じた答えではない事を答えにして、自分自身を失くして見失い、システムの一部になっていく大人を大量生産してしまうのです。
さらに、その学校のシステムに毎年大量の税金が投入されます。一人当たり何千万も税金が使われています。
今の時代で稼いでる会社は楽しい遊びを提供する会社です。苦しい事は、ロボットやコンピュータがやってくれる時代になりました。人々に楽しい事を提供できるのは、遊びの達人です。子どもの頃から、のびのびと、知りたい事を知り、やりたい事やり続ける事で独創性や遊び心は維持され発達させる事が出来ます。そういう人間を大量に育てないといけません。
子どもたちを犠牲にする事と社会をダメにする事は密接につながっているのです。子どもの命を大切に守ることが、社会が生きていて楽しい社会になるために一番大切なことなのです。
まとめ
子どもたちはしっかり考えているので、親の押しつけはやめて、知りたい、やりたいという好奇心と遊び心を信じてあげる事。その行為を守ってあげられる事が親として重要ではないかと安富先生のお話や本を読んでいて思います。
それが社会を少しづつ変えていく方法でもあるし、体裁ばかり
を守り子どもを守ろうとする意思がない社会は、きっと滅びると思います。
【参考文献】
この記事へのコメントはありません。