子育てと野菜を育てることは似ている!?
子どもを育てるのと野菜を育てる事は似ていると言えば似ていると思います。
自分より弱い者や自分より能力がないと思っているものに対して、不安に感じたりしますよね。それは、信頼していないのと同義だと思います。
無農薬で野菜を育てる、露地で野菜を育てるというのは結構不安が大きい。天候、病気、害虫、などなど、自分の目の離れたところで様々な障害を受けるから。基本的に野菜達の力を信頼できない。だから色々な世話を先回りしてやってしまう。
子育ても、あまりに先まわりして言われたり決めつけられたりすると、子どもたちはある程度成長した時に、自分を一人の人として信じてもらえていないという不安定感や、親から伝わってくる不安(=不信頼)に抵抗して反抗をする。
人によっては、自分で判断する力を奪われてしまいます。
先回りしすぎる事は信頼していない不安感の表現でもある。しかし野菜たちは先まわりする事で、生存の確率を上げている。
先回りをして生き延びさせることについて文句を言う野菜はいない。どう文句を言うのかはわからないけど・・・。笑
それぞれの環境に適応する野菜たちにも限界がある
小さい頃(種の時)から強い者として育ててわざと環境ストレスを与えて、何世代もかけて、今の地域の環境に適応するように育成した自然農の種も売っていたりしますが、実際に育ててみると強さにも限界値がある。
日本で育てる野菜のほとんどは、外国出身のものが多いのですが、日本の高温多湿の夏や寒い冬などの一年を通しての気候の変動が大きい場合、本来の性分に合っていない。環境に合わせて、人間が美味しいと感じるように品種改良されてきた野菜たちの環境への適応には、やはりある程度の限界があるように思います。
特にアブラナ科などの野菜たちを、防虫ネットも使わずに彼らが好きな環境や季節以外で育てるのは、露出度の高い服で着飾った美人を、欲求不満で腹ペコの男たちの中に一人で歩かせるような感じだ。
虫たちの格好の餌食だ。
しかし、私たち無農薬で野菜を生産する者のエゴで、多少その野菜が好まない気候の中でも、生育させたりする。今の野菜達の多くは、日本の環境を好まない者が多いのでしょうがないと言えばしょうがないのだが・・・。
もともとの野菜の原種は調べてみると本当に野草というものが多いです。甘くないし、美味しくない。それを改良していって今の野菜があるのも事実です。
雑草をかじってみればわかるけど、基本、苦い!。この苦さや味のなさで、虫達に食べられないように身を守っているし、だからこそ生き残ってきたという歴史もある。
子育ても、施設栽培的に環境を準備してあげて、柔らかくまっすぐ育ったり、自然栽培的にほったらかしにして、ゴツゴツした味の濃い人に育てたりと、子どもの育ち方も色々あると思います。
しかしどちらも土壌が豊かでないとうまく育たたない。どんなに強い種の野菜でも、土壌が痩せていたり固すぎたりすると生長しない。
人間でいうところの土壌とは住む社会
住む社会が荒んでいたり社会的に貧困だったりすると、いろんな栄養不足が起こり、何かの成長が止まってしまう事が考えられる。体なのか?心なのか?だから、子にちゃんと育ってもらおうと思ったら、社会が悪い方に行かないように、大人たちが努力しないとダメな面もあると思う。
一応、地球上で他の生物に対する影響力が強いのは人なので、生物を自然に伸びたいように伸びさせることって、人に利用させない、役立たせないという事だと思える。だから野菜たちは私に作られて窮屈だと思う。(笑)
誰かに食べさせるために、一斉に発芽させて、畝を立てた所に規則正しく配置されて、収量も必要なので窮屈に育ち、成長しきらない所で刈られてしまう。
まさに彼らに自由はない。(笑)
老子の言葉で曲即全
「曲がっているものすなわち全うす」
まっすぐな木は材木として使われてしまうが、曲がった木は使われないから、その天寿を全うする。という意味のものだが、そういった木は巨木になり人々の鑑賞に耐える物となり、人に感動を与えると思う。
現代の教育に自由はあるのか?
今の子どもたちの教育って、何かにすぐに役に立たないといけないという教育が多いような気がしてとても窮屈そうです。大学なんかも、就職のための予備校みたいで、象牙の塔的な学びのためだけに学ぶという楽しさも余裕もない感じがする。
- 就職するために、名のある大学や就職に強い大学へ、
- 名のある大学に行くために、受験勉強の強い高校へ、
- そういった高校に入るために、高校受験に強い中学へ。
もう、この教育方針は古いし、創造性のある人が育ちにくいと言われて結構経ちますが、この流れがなくならず、結局、それに関わる人(親や子、学校)がそれを求めているんですね。
今の教育は誰か(先生や権威)が望む答えを見つける教育とも言えます。が、その結果、子どもの時期から早く大人になる事を求められている面もあると思います。
紛争地帯で銃を持って戦う子ども達も、幼稚園から受験勉強をさせられる子供達も。子ども時代という時間の無駄をさせてもらえない。とも言えると思います。
無駄をさせてくれる余裕がない。
今の野菜栽培と子育て。
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