植物工場とは
施設園芸における有機栽培、水耕栽培をさらに推し進めて、施設内で植物の生育環境(光、温度、湿度、二酸化炭素濃度、養分、水分等)を制御して栽培を行い、環境および生育のモニタリングを基礎として高度な環境制御と生育予測を行うことにより、野菜等の植物の周年生産や計画生産が可能な栽培施設とされている。
植物工場は、施設外と完全に隔離した閉鎖空間を使用して、光や温度や湿度、そして二酸化炭素濃度や養分、水分などを人工的に調整して野菜の生育をする方法が取られている。
太陽光を使わなくても蛍光灯LEDなどの人工的な光だけで生育する閉鎖的な水耕栽培とでも呼べば良いのだろうか。
水耕栽培なので、無農薬野菜だが、有機野菜ではない。肥料が培養液なので、化学肥料という扱いを受けるのか、その肥料が有機JASの認定を受ければ有機野菜となるのかはわからないが。
無農薬は無農薬だ。
しかも、閉鎖空間でしかもクリーンルームで栽培されるので、天候の変化に影響をされないし、菌や害虫の影響も受けることもない。昨今の異常気象などによる天候の劇的な変化やそれに伴う、菌類の繁殖や虫の偏向的な発生に影響を受けない。
だから形の良い、均質的な野菜が取れることになる。
メリットが増えると農家はいなくなる!?
これに伴うメリットは意外と大きく、まず食料の安定供給が行われるのと、その野菜が栽培しやすい環境を人工的に作ることができるので、一年の内に何作かできるようになる。
病虫害などを気にする必要もなく、味や食味に特化した品種を改良できるし、特定の栄養素を強く持つような機能的無農薬野菜も栽培することもできるし、極端な早生品種(早く生長する品種)を作れば本当に一年に何作もできる。
そして、水耕栽培なので、畑を耕したり、雑草を除去したりという畑の場を整える手間もいらないし、野菜を間引いたりする必要がない。
基本的に温度や水や肥料などはコンピューター制御なので、人の手間はほとんどいらないし将来的にはロボットなどのドローンが作業をするということらしい。
だから、将来消える職種に農業も入っているわけだ。
しかし、現時点では植物工場の初期コストの高さと、ランニングコストに問題がある。特に電気代。光の光源である電気や温度管理に伴う空調の管理などの費用が、生産物の単価に合わないので、日本ではまだ発展途上だ。
電気代がタダになれば
これが、スーパーコンピューターの発達に伴い様々な発電方法が実用可能段階になり、それを蓄電する技術が発展してくると、電気の生産コストが限りなくゼロに向かう、代替えエネルギーと呼ばれる発電方法に使われるエネルギーの原料は安いからそうなるし、エネルギーコストが下がれば植物工場の運用もしやすくなり汎用性も格段に上がってくると予測されている。
実際に高いエネルギー変換率を持った太陽光発電や人工光合成や核融合炉の開発も日本や世界でも進んでいるので、そうなる確率は10年前よりもはるかに高くなっている。
工場のプラントを造るための投資ができれば、植物工場もいろんなところにできる時代になるのかもしれない。
無菌状態で作った野菜が本当に健康なのか?
個人的な疑問が残る。
無菌の方が安全
という神話
現状の、無農薬野菜や有機野菜などを成り立たせているものは、土中の菌や細菌。細菌があるから病気にもなるが、いろいろな菌が土の栄養分を植物が吸収できるような養分やミネラル分に変えてくれる。
植物も菌や害虫がいるから抵抗性を獲得して強くなるし、味も濃くなるし栄養価も高くなる。
その余分な邪魔になる問題因子をできるだけ排除して、効率的に野菜を作ろうとするのが植物工場でもある。
無菌状態で育った人間が健康的なのか?ストレスの全くない環境で育った人間が健全なのか?
という感じを持ってしまうのは私だけでしょうか?
昔あったO157で集団食中毒になった学校事件。死亡してしまった子の家はとても綺麗好きで、いつも家を綺麗にする親だったという記事を読んだことある。腸内の菌群の多様性のなさの結果、抵抗力がなかったということがわかっている。
だから私は、体の中に持つ菌の多様性は必要だと思うのです。
今後の植物工場の発展は
植物が生物ではなく物化されて、物として扱われていくようになるように思う。
味の美味しさは植物工場の味や美味しさが基準となるのではないかと思う。
味の素がないと美味しさを感じなくなった現代人のように。
そして、今の多くの人々が考える本当に安全かどうかという基準は、国がそう言っているというお墨付きで決まるから、多分培養液が何を使われていようが、品種改良の結果、遺伝子組み換えしようが、本当は危険性があるかもしれないが、お墨付きさえあれば、あまり人々は気にしないと思う。
だから、私たちみたいな土を使って、無農薬や有機で野菜を作る人間は、伝統工芸の職人のように、知る人ぞ知るという存在になるのか、古き良き昔を思い返す、懐古主義的な趣味の園芸的な立ち位置になるのかはわからないが、きっと今以上にマイナーな存在になる事が予想されるのです。
参考文献
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