先読みしすぎと与えすぎ、野菜の栽培と育児

どんな野菜でも基本的には自力で育つ


野菜たちは放っておいても勝手に生長してくれる。しかしそのままだと、野菜を栽培している当人は困ることがいろいろ出てきます。有機野菜や農薬野菜で作る場合でも同じです。

目に見えている部分(食べる部分)がもっと大きく実って、早く収穫できないと困るから、水や肥料をやったり、近くに生えている他の植物(雑草)を排除したり、資材を使って保温したりすることでその手助けをします。

ある意味、管理者の都合なのである。しかもその大きな部分が経済的な都合である。大きさ、収穫の時期、量、それをある程度確保するためにも、先回りして野菜の本来の力を信じる前に、先に手を打ち続ける。

しかし放っておいても、生き抜くために周りの環境に適応して生長し、花を咲かせて実をつけて、次の代に自分たちの命の種をつなげていく。

あれもこれもやりなさいと、子どもに押しつけていませんか?

じつはこれは、現代の人間の子どもにも同じことが言えると思う。

親は将来の子どものことを考えて先回りをして行動する。小さいうちから読み、書き、計算ができないと学校でとり残されるから、宿題は絶対にやらせようとするし、学校以外に塾にも通わせる。最近では幼児や未就学児から英語やプログラミングを習わして将来のために備える親が増えている。

「あれもしなさい、これもしなさい。」

の前提となるのは

「あなたはこれも足りない、あれも足りない。」

である。子どもが興味を持ったことをどんどん突っ込んでやらせてあげるなら良いと思うが、親の「あれもしないといけない、これもしないといけない。」という子どもへの気持ちは、結局は「親自身の不安」なのである。その不安を子どもは無意識で察知する。

「将来この子は落ちこぼれずに生きているのだろうか。」

「職がなく働けない、食っていけない人間にならないだろうか。」と、

子どもを信じられていないだけ。

そして子どもの将来への不安は、親の不安であり、親の見栄だったりする。自分の親にも信じてもらえない子どもが、社会に出てまともに生きていけるのだろうか?

子どもたちは今を生きている。大人のように、過去を憂いたり憤りを覚えたり、未来を心配したり不安になるという現象は限りなく少ない。

子どもが不安になることといえば、「親に見てもらえていない、認めてもらえない。親に信じられていない。親が近くにいてくれない」ということなのだから。

今の親の気持ちが欲しいのである。

野菜たちも子どもたちも“今を生きている”


野菜たちも、収穫量を気にしなければ、手を無駄にかけずとも、ほったらかしでも、基本的には周りの植物(雑草)や温度や水、肥料などを、人が与えてあげなくても案外育つのです。そういう状況で育つ野菜は、地上部分は小さいかもしれないが、根を広く深く張り、しぶとく生き続ける。

「大変!このままでは、売れるものがなくなってしまう!!」

「収入がなくなってしまう!!」

「もっと収穫量を増やして売り上げをあげなければ」

という不安が無ければ…、信じてあげれば…、結構放っておける。

無駄に手を出さなくても、勝手に育っていく。

生長(成長)すると信じてあげて、見守ってあげる。無駄に手をかけない。

自然栽培的な、自然農法的な育て方でも十分育つ。経済的な合理性に野菜を利用しなければ、その野菜は勝手に育っていく。

植物は移動しないで生長することを選んだ種。人は移動しながら成長することができる種だから余計に自分で勝手に自分を育てる能力はあるはず。

親が先読みして、手を変え品を変え将来の経済的な合理性のために子どもを成長させてあげるのか?自然栽培的に無駄な手を排除してあげるのか?

見ている側の信じる心しだい

一緒に今を生きようとする意思しだい

ではないのかな。

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